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代々木上原(よよぎうえはら)は、東京都渋谷区の西部にある一地区。 住所でいうと元代々木・上原一丁目・上原二丁目・上原三丁目・西原一丁目・西原二丁目・西原三丁目・大山町の一帯を指すことが多い。 歴史的には旧代々木村に所属し、その中央部から西部にかけての地域である。

1212年に代々木村の鎮守である「代々木八幡宮」が現在の元代々木と西原の間あたりに創建される。

かつては初台・元代々木・西原周辺の低地は宇陀野(うだの)と呼ばれ、そこから流れる川という意味で宇田川と命名された。(下流で渋谷川と合流する手前の町名が現在の渋谷区宇田川町)

戦国時代に太田道灌が現在の代々木八幡宮の場所に砦を作る。

1671年(寛文11年)に代々木八幡宮が現在の場所に移る。

江戸期から狼谷(現在の西原二丁目から大山町にかけての谷で、宇田川の水源)に荼毘所が出来、現在の代々幡斎場に至る。1927年(昭和2年)の小田急小田原線開通・代々幡上原駅設置(詳細は代々木上原駅参照)までは人里少ない地域であった。なお、代々幡上原駅設置当時、代々木村は、幡ヶ谷村と合併し、「代々幡」といっていた。

その後、東京市編入の頃、西原から大山町あたりに「徳川山」という都内有数の高級住宅街が昭和初期に分譲される。戦前、森永製菓創業者の私邸「森永ガーデン」というものがあり、戦後はGHQの接収をへて医療少年院となり、昭和50年代にその跡地が東京国際研修センターに生まれ変わる。

また、井の頭通り沿いには日本に2つしかないイスラム教のモスク「東京ジャーミイ」がある。ロシア革命で郷里を追われたトルコ人が満州経由で東京に移り住み、そのトルコ人のための宗教・教育施設として1938年(昭和13年)に作られた「東京回教学院」がその元である。なお、地元では「フイフイ教」といわれる。

河合塾は、関東進出に際して上原三丁目に「駒場校」を設置している。

ウィキペディアより引用

 


上原さんちの近くに代々木さんがいるようなもんです。きっとそうです。

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